家庭の大切さについて

このブログで何を書いていこうかと模索する中で、十数年前、まだインターネットが発展途上にあった頃のブログをイメージしています。

自分の好きなことを、ただひたすら語ったり、本当に日記のような使い方をしたり。まだまだ閉じられた世界という感覚があった分、温かい雰囲気の世界だったように思います。

最近は、自分の知識や技術を活用したブログが多くなりましたね。私もそういった趣味がもう少し深くあればよいのですが、残念ながら広く浅くの性分のため、人様にお見せできる専門的なブログは作れないかもしれません。もし何か見つかったら徐々にそういうのも出していくかもです。

しばらくはジャンルの安定しないものとなりそうです…

 

今回は、この前出した記事を書いている時に思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。

 

家庭の大切さ

最近では個人主義が特に良しとされる風潮にあります。個人主義。悪くない響きです。

私たちはまず自分というものが存在し、自分が存在することを認識しています。今はその自分を良しとすること、自分を表現することが重要になってきているのです。

そして、それに反比例するかのように、家庭というものの大切さが薄れてきているように思います。

家庭というのは、血の繋がっているいないに関わらず、その置かれた身近な人たちと織りなす環境が人生の中でとても重要な位置を占めています。

大事なのは、家庭という一つの環境を軸として成長した自分が、その家庭でどのような役割をもち、何を学んでいるかということです。

それを土台として自分というものが作られているし、広い平原に一人ぽつんと置かれて勝手に成長したわけではないので、その関わりの中で得た知識・道徳が発展し、家庭から社会を形成しています。

ただ成人し自立するまで経済的に守られるためだけの巣ではなく、安息の場であり、反面教師であり、人と人とのかかわり方を学ぶ最初の場です。

親としては、無償の愛を与える経験させてもらえる場であり

子供としては、親から無償の愛を受けながら自我を目覚めさせる場であり

兄弟がいれば、親から愛される他の存在をみとめること、助け合うことを学ぶ場となります

 

今は情報社会になり、様々な思想が出てきています。自分を表現する手段が増えることは喜ばしいことなのですが、家庭というベースをないがしろにしては、結局自分というものが崩れてしまうのではないかと思います。

なので家庭というものの在り方、自分がどの立ち位置までを経験し、心が成長できているかということを今一度整理し、より一層成長していける私たちとなれたらなと思います。